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高知地方裁判所 昭和27年(行)10号 判決

原告 池添慶亀

被告 高知県知事

訴訟代理人 大坪憲三 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十七年三月一日付買収令書によつて、別紙目録記載の農地についてなした買収処分を取り消す、訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、

その請求の原因として、

(一)  香美郡日章村農業委員会は、昭和二十六年十月初頃原告所有の別紙目録記載の農地(以下本件農地という。)を自作農創設特別措置法(以下自創法という)第三条第五項第五号に該当する農地として買収計画を定めたので、原告は同委員会に異議を申し立てたが棄却され、更に昭和二十六年十一月二十八日高知県農業委員会に訴願をしたが、同二十七年二月十九日付でこれ亦棄却された。

被告は、右買収計画に基いて、昭和二十七年三月一日付で本件農地に対する買収令書を発行し、これを、本訴提起の日より一ケ月以内である同年四月二十七日原告に交付して買収処分をした。

(二)  ところで、右買収処分には、次のような違法があるから、取り消さるべきである。

(1)  本件農地は、目録(イ)については、明治三十二年三月一日、同(ロ)については同三十三年二月二十八日、同(ハ)については同年六月三日、即ちいずれも民法施行の日以後にそれぞれ永小作権が設定されたものであり、昭和二十三年七月十五日現在において、民法施行法第四十七条に規定する永小作権の目的となつている農地ではない。詳論すれば、目録(イ)の農地については、明治二十五年九月八日吉本銀次郎が所有権の登記をなし、同三十二年三月一日末政丑太郎の為永小作権を設定した旨同三十三年五月二日永小作権設定登記をなし、同三十四年十一月五日原告の父池添国馬が売買により所有権を取得し、目録(ロ)の農地については、明治三十三年七月十四日吉良周吾が所有権の登記をなし、同年二月二十八日北岡柳馬の為永小作権を設定した旨同年七月十四日永小作権設定登記をなし、同三十四年四月一日原告の父池添国馬が売買により所有権を取得し、目録(ハ)の農地については、明治三十三年六月二十日原告の父池添国馬が所有権の登記をなし、同年六月三日仙本芳吾の為永小作権を設定した旨同年七月二十一日永小権設定登記をなし、同年六月三日山本芳吾の為永小作権を権設定登記をなし、同年六月三日山本芳吾の為永小作権を設定した旨同年七月二十一日永小作権設定登記をなし、且つ、右(イ)(ロ)(ハ)とも昭和十九年九月右国馬死亡による家督相続によつて原告が所有権を取得したものである。

尤も、本件農地や、その他日章村の農地の永小作権設定契約書には、「明治十五年協議契約に因り」「明治十五年設定を証する何年何月何日付永小作権設定証書により」「明治十五年より継続したる永小作権を明治何年何月何日設定証書により」等の文言が記載されているけれども、この文言のできた由来は、香美郡田村(現日章村)に於ては、小作米の上納米に関して、明治十一年より同十三年迄三ケ年を費して、第一、二、三審と大審院の判決を仰ぐまで争い抜いた苦い経験に懲り、明治十五年地主小作人円満協議を遂げ今後再びかかる争のないように互に納得できる条件を選定し当時万人向の条件を印刷した用紙を以て契約書を作成したものである。それから、明治時代はもとより、大正、昭和に至る迄同一の文言(即ち明治十五年云々)を使用し、これが登記原因の冒頭に記載せられて現在に及んでいるものであつて、決して、明治十五年に永小作権を設定したものではない。

(2)  仮に、民法施行の日以前から地主以外の者が本件農地を耕作していたとしても、それは、賃貸借による普通の小作であつて、永小作権によるものではない。

(3)  又仮に、右が永小作権であるとしても、その設定登記のなされた日時は、前記の通りであつて、いずれも民法施行の日から一年以内に登記をしていないから、民法施行法第三十七条、民法第百七十七条により永小作権設定後に所有権を取得し、且つ、永小作権設定契約の当事者でもない第三者である原告に対しては、登記前の事実を以て対抗することはできない。

(三)  よつて、日章村農業委員会が自創法第三条第五項第五号に該当する農地であるとして、本件農地の買収計画を定めたのは違法であり、これに基く被告の買収処分も亦違法であるから、その取消を求める為本訴に及んだ。と述べ、

被告指定代理人等は、主文同旨の判決を求め、

答弁として、

原告主張の請求原因(一)の事実及び同(二)の(1) 事実中本件農地の所有権移転の経緯及び永小作権設定登記の存在の点は認める。その余の事実は否認する。

即ち、

(1)  本件農地の永小作権は、いずれも民法施行後民法の規定によつて設定せられたものではなく、明治初年地租改正当時目録(イ)の農地は吉本哲次、同(ロ)の農地は吉良周吾、同(ハ)の農地は池添嘉平が夫々所有していたが、その頃既に本件農地は、「永代宛り受け地」(慣行永小作権)であつた。

(2)  本件農地の所在地である旧香美郡田村は、高知県下に於ても早く開けた土地で農業が発達していたので、本田即ち山内藩主入国以前に既に熟地となつていた田が多く、従つて亦一季小作が主であつて古い永小作は明治初年に至る迄存在しなかつたのである。

ところが、明治元年土佐藩が会津征伐に出兵するに及んで村村は、御用金として軍用金として軍費を徴収されたが、この時の税率が永小作地に於ては、地主四分永小作人六分の割合であり、一季小作地に於ては、全額地主の負担となつていたところ、当時田村の地主達は多額の御用金納入に苦しみ各小作人に相談して永小作人同様に御用金を立て替えて貰うことになり、小作人達は御用金の六分を代納したのであつた。

それで、当時地主側小作人側双方協議の結果地主は、小作人に対し、将来永小作権を附与することにして、右立替問題を精算し、以来田村の小作は永小作となつたのである。

(3)  その後、明治四年廃藩置県の結果旧来の米租を引き続き小作人から政府に納租することになつたが、同六年には、地租改正に関する上諭が発布され、同時に地租改正条例が施行せられ、地租の賦課率が全国一律に地価の百分の三と定められたが明治十年一月四日地租軽減の詔勅が発せられ、地租が百分の二・五に軽減せられた。それで、当時明治四年から九年迄に既に納入してある地租の一部払戻を受ける権利が地主にあるか、小作人にあるかについて、地主小作人間に争いが生じ、高知裁判所、大阪上等裁判所、大審院と訴訟が続けられたが、結局明治十五年三月その大審院判決の趣旨に則り、全地主小作人間で左のような熟議契約が成立した。

「香美郡田村(本村)分田村敬直外二十七名所有之耕宅地地主作人之間葛藤有之処、今回熟議相整、従来之小作人ヲシテ将来盛控小作人トナシ、明治十四年ヨリ左ノ条款ヲ約定ス。

第一条 従来ノ盛石平均一石三斗七升ト見做シ、一石ニ付四斗三升八合(以下捨)割賦法ヲ以テ盛石ニ賦課シ以往之加治子米ト定メ、該地ニ掛ル租税其他ノ費額ハ悉皆盛控永小作人之負担トス。

第二条 明治九年ヨリ同十三年迄之貢租過納及二歩減米並二加治子米其他之諸費等ハ一切追而約定ナスモノトス。

右両条契約スル上ハ地所永世盛控証委任状等為取替、自今親睦愛敬道ヲ守リ聊カ道徳上ニ背カザラン事ヲ要ス、地主作人契約之証如件」

ところで、その後明治三十一年七月十六日より民法が施行せられることになり、永小作権の登記をしなければならなくなつたので、小作人等は、小作人組合を結成し、総代を選んでその衝に当らせたが、その際総代人等は、弁護士藤崎朋信につき研究の結果民法施行の日以前からの永小作権であることを明示する為、右熟議契約のあることに鑑み、「明治十五年地主作人の協議契約により設定せし永世小作権」である旨表示する文言を契約証及び登記事項に入れることにしたのである。

(A)  永小作即ち、所謂「永代宛り受け地」は、貢租その他の負担は一部又は全部を小作人が負担し、小作料は本田小作即ち一季小作より低額であり、不作のときも天災による甚しい減収について地主の承諾ある場合の外小作料を減免せず、小作料は不変であるのが特徴である。一般に一季小作は反当一石ニ斗乃至ニ石余、永小作は、反当三斗乃至一石余の小作料である。

ところで、本件農地の永小作権設定登記によると、〈1〉「存続期間永世」〈2〉「公租公課は永小作人の負担」〈3〉「天災にて凶作のときは、地主は地租の減納又は延期を出願し、その年限減納は残元金延納は初年上納額に相当する割合を以て小作料を用捨」とする外目録の(イ)農地については「明治十五年協議契約に依り設定を証する云々」の文言が登記され、小作料は年三斗五升三合九勺同(ロ)(ハ)の農地については「明治十五年設定を証せる云々」の文言が登記され、小作料は回が年五斗二合二勺(ハ)が五斗二合九勺となつている。

(5)  以上(2) 乃至(4) の事情を綜合すれば、本件農地については、民法施行の日以前から永小作権が設定されており、もとよりそれは原告主張のような賃借小作ではないことが明らかである。

(6)  尚、田村地区に於ては、本件農地を含み民法施行の日以前から設定せられていた慣行永小作権の存する田畑はその数が非常に多く、今次農地開放に際しては、いずれも政府により買収せられ、永小作権者に売渡になつており、且つ、その中には本件農地と同様自作農創設特別措置法第三条第五項第五号による買収も多数含まれているが地主よりは敢て異議なく買収は完了しているのである。

(7)  原告は明治十五年云々の文言は例文に過ぎない旨主張しその立証として、甲第四号証の一、二、を提出しているが、右文言のできた由来は前述の通り原告主張の由来と異り又甲第四号証の一、二、による永小作権は、昭和七年三月七日に設定せられた期間五十年の民法上の永小作権であることが同号証の記載自体から明らかであるから、同号証記載の明治十五年云々の文言を援用するのは当らない。

と述べ、

原告主張の請求原因(二)の(3) に対し、

原告の右の主張は、次の理由により失当である。即ち、

(イ)  自創法による農地買収処分については、既に、民法第百七十七条の適用はない旨の最高裁判所大法廷判決もある外、農地買収については、現実の事実関係が問題であり、自創法第三条第五項第五号の要件についてもこれを充足する事実関係が存すればよいのであつて登記の有無を問題にする必要はない。

(ロ)  原告の先代池添国馬は、目録(イ)(ロ)については、本件永小作権設定登記のされた後に所有権を取得している外、目録(ハ)については自ら永小作権を設定したものであるから、右永小作権は、原告の先代国馬に対して対抗力を具えており、右国馬の包括承権人たる原告が右永小作権の効力を争うことはできない筋合と思料する。

(ハ)  民法施行法第三十七条は、同条に定めた権利について一ケ年以内に登記すべきことを要求し乍ら、一方不動産登記法施行細則は明治三十二年六月十六日に至る迄施行されずその要求する一ケ年以内の期間を事実上遵守不能ならしめたものである。又民法施行後一年半を経て公布になつた「地上権に関する法律」の意義と対比しても民法施行後一ケ年経過後に設定登記した慣行永小作権がその為に効力を左右せらるべきではない。従つて、原告は「永代宛り受け地」として継続し来つた本件永小作権について、民法施行法第四十七条第三項の適用があることを甘受しなければならない。

と述べた。

立証〈省略〉

理由

原告主張の請求原因(一)の事実及び昭和二十三年七月十五日現在に於て、本件農地がいずれも原告主張の日に登記された永小作権の目的となつていた事実は当事者間に争がない。

そこで先ず、右永小作権が民法施行前の設定にかかるものであるかどうか即ち慣行永小作権であるかどうかについて判断する。

(一)  成立に争のない乙第十六号証、甲第四号証の一、証人末政浅吉の第一、二回供述及び鑑定人関田英里の供述を綜合すると、〈1〉被告主張の(2) (3) の事実、〈2〉末政浅吉が(3) の永小作権の登記をするについての小作人組合の代表の一人であつたこと、〈3〉その登記は、明治三十二年から同三十四年迄の間に殆んど済ませられたこと、〈4〉永小作権に関する証書には、最初「明治十五年地主作人協議契約により設定せし永世小作権を其侭継続し、」との文言を記載し、その証書を登記原因を証する書面としていたが、それでは登記に応じてくれない地主が四五人あつた為、その分はそのままにして他の分の登記を済ませ、小作人組合を解散したが、その後七、八年を経て村の有志が仲に入り、それを「明治十五年地主作人の協議により永世小作権を設定せし精神に基き」との文言に変えて登記して貰うことになつたこと、を認めることができる。原告本人の供述及び乙第八号証中右#1に反する部分は信用できない。

そして、前記末政証人の供述(第二回)によれば、同証人が関与して前認定のように登記をしたのは本件(イ)の農地の小作契約書である乙第二十二号証の一の如き証書に基き登記したことが窺われるし、しかしも本件登記はいずれも前記末政浅吉等が代表して登記したという期間である(イ)の農地については、明治三十三年五月二日(ロ)の農地については同年七月十四日(ハ)の農地については、同月二十一日の各受付でなされていることは当事者間に争ないところである。尚成立に争のない乙第十八号証の一、二、三によれば、本件農地の永小作権についての登記事項の冒頭の文言は被告主張の(4) の通り即ち、前記代表等が登記したという文言であることが認められる。

(二)  ところで慣行永小作の内容について見るに、成立に争のない乙第十五号証、乙第八号証、乙第十二号証乃至第十四号証、証人末政浅吉の第一回供述、証人末政トラミの供述を綜合すると、被告主張の(4) に略合致し、即ち#1存続期間が永世であること、#2公租公課は小作人が負担すること、#3小作料が一季小作に比し非常に低廉であること、(一季小作については反当一石五斗乃至二石余、永小作については反当三斗乃至一石余)がその特徴であり、殊に#2の要件を充たすものは、十中八、九慣行永小作権であると考え得られることが認められる。

そして本件農地についての永小作権の契約内容を見るに、成立に争のない甲第一、二、三号証、乙第一号証の一、二乙第二号証、乙第十一、十二号証乙第十八号証の一、二、三官署作成分の成立に争なく、弁論の全趣旨によりその余の部分の真正に成立したことの認められる乙第二十二号証の一、二乙第二十三号証を綜合すると、本件農地の永小作権の契約内容は被告主張の(4) の通りであること(従つて小作料は目録(イ)の農地については反当約五斗八升、(ロ)の農地については反当五斗五升二合、(ハ)の農地については反当約四斗一升五合であることは計算上明らかである。)即ち、本件農地の永小作権は、存続期間、公租公課の負担者、小作料の高の点に於て慣行永小作権の特徴を具備していることを認めることができる。

(三)  証人末政浅吉の第二回供述によると、田村には甲乙二部落があり慣行永小作権の存在したのは主として乙部即ち田村本村であり、甲部落には殆んどなかつたこと、本件農地は、いずれも乙部落に属することが認められる。

(四)  成立に争のない乙第十六号証によると、民法施行当時の状況は、次の通りであるから、民法施行直後から二、三年即ち前記小作人組合の代表等が大部分の永小作権の登記をした当時には、新たに、従前の慣行永小作権と同様の内容(特に存続期間永世との)の永小作権を設定したことは極めて稀であろうと考えられる。即ち、

明治三十一年に民法及び民法施行法が発布せられ、同年七月十六日から施行されることになつたが、民法第二百七十八条第一項は、「永小作権ノ存続期間ハ二十年以上五十年以下トス若シ五十年ヨリ長キ期間ヲ以テ永小作権ヲ設定シタルトキハ其期間ハ之ヲ五十年ニ短縮ス」と規定すると共に民法施行法第四十七条第一項は、「民法施行前ニ設定シタル永小作権ハ其存続期間カ五十年ヨリ長キトキト雖モ其効力ヲ存ス但其期間カ民法施行ノ日ヨリ起算シテ五十年ヲ超ユルトキハ其日ヨリ起算シテ之ヲ五十年ニ短縮ス」と定めた。それで、従来永久に存続するとされていた永小作権も民法施行の日より五十年を以て消滅することになり、小作人間に一大恐慌を来たし、県下の小作人は各町村毎に総代を選んでその対策につき協議した結果代表を選出して永小作権に関する法律の改正を政府及び貴衆両院に請願、極力運動したところ、明治三十三年二月二十六日法律第七十一号を以て、民法施行法第四十七条に「民法施行前ニ永久存続スヘキモノトシテ設定シタル永小作権ハ民法施行ノ日ヨリ五十年ヲ経過シタル後一年内ニ所有者ニ於テ相当ノ償金ヲ払ヒテ其消滅ヲ請求スルコトヲ得若シ所有者ガ此権利ヲ抛棄シ又ハ一年内ニ此権利ヲ行使セサルトキハ爾後一年内ニ永小作人ニ於テ相当ノ代価ヲ払ヒテ所有権ヲ買取ルコトヲ要ス」の一項を加える改正がなされた。そして、明治三十三年三月二十七日には、鏡川の河畔柳原で小作人組合の右改正実現の祝賀を兼ねた請願委員慰労懇親会が開かれた。それで同日(本件農地の永小作権登記の受付日前)頃には、右改正の事実は大部分の県民に知れ亘つたものと推定し得る。(この改正が殆んど全部の地主小作人の関心の的であつたことは容易に推量し得るところである。)

そうすると、右改正の事実で一般に知れ亘つた直後に於て、慣行永小作権の登記手続が主として行われていた期間中に、これと全く同一内容の永小作権を新たに設定し、同一の登記事項によつて登記するときは、慣行永小作権との区別がつかなくなり、地主は、民法施行法第四十七条第三項によつて、相当の償金を支払わされ、或は所有権を失う虞れを生ずるのであつて、余程特殊の事情のない限りその様な新たな永小作権の設定及びその登記はしなかつたであろうと考えることができるのである。因みに、既に慣行永小作権が設定されていた分についてもその登記をすることを容易に承諾しなかつた地主のいたことは前述の通りである。

(五)  成立に争のない乙第十号証、証人末政晋、同末政トラミの各供述を綜合すると、(イ)目録の農地は、明治三十年頃即ち末政トラミが末政茂一の孫末政貞治と婚姻した当時には、現耕作者である末政晋の曹祖父末政茂一が耕作しており、その前には茂一の父作蔵が耕作していたこと、茂一もその子である丑太郎も(イ)の農地に対する公課を負担していたことを認めることができる。

(六)  証人横田義信の「本件一反二十一歩の土地(ハ)の永小作権を私のところで買い受けたとき私は私の父好馬や祖父から「相当古い永小作権だから永小作権の期限が切れるから買いなおさなければいかんぞ」という話を聞きました。との供述、原告本人の「本件土地は、登記簿にのつた時から永小作であつたことは間違いないが登記する前から永小作であつたかどうか知りません」、「登記設定前は、本件土地はどの様にしていたか知りません」、「本件土地もこの様に永小作権を設定して加持子を貰つておりましたし、父は本件土地を加持子の分だと云つていました。」との供述があること。

(七)  以上の事実を綜合すれば結局本件農地についての永小作権は、慣行永小作権として民法施行以前から引続き存続している永小作権であると推認するのが相当である。

成立に争のない甲第四号証の一、二、乙第二十号証、乙第九号証、証人末政浅吉の第一、二回供述証人末政寅市の供述を綜合すると、明治十五年云々の文言を記載した前記契約証用紙は、民法施行後の設定にかかる永小作権設定契約にも使用されなかつたとは断定し難い。然し、さらに進んで上来の推認を覆えし原告主張事実を肯認するに足る証拠は存しない。殊に、民法施行後設定された永小作権の設定契約証及びその返証であるとして原告の提出援用する甲第四号証の一、二には特に「存続期間ハ昭和七年参月ヨリ向ウ五拾ケ年トス」と書き加えられており設定契約の日時以外の点でも慣行永小作権と区別し得るようになつているのである。(尚、成立に争のない乙第一号証の一、乙第五号証、証人末政浅吉の第二回供述を綜合すると田村の永小作権の設定契約証等は「地主小作人共改名代換り土地売買譲与等ノ節ハ」当該契約内容通りの新たな契約証等に書き換えられることになつていたので、証書記載の契約日時のみによつては慣行永小作権かどうかの判別は困難なのである。)

次に原告の(二)の(3) の主張について考えるに、

民法施行法第三十七条所定の期間内に登記しなかつた永小作権と雖もその後に登記を了するときは、登記の日より第三者に対抗し得ること勿論であり、且つ、自創法第三条第五項第五号により農地を買収するに当り、当該永小作権が民法施行前の設定にかかるものなりや否やは買収実施機関が調査認定すべき問題であつて、所有者たる原告と永小作権者との間に対抗力の問題を生ずる余地はないから、(仮に農地買収に関して民法第百七十七条の適用があるとしても)原告のこの点に関する主張は理由がない。

そうすると、被告の本件買収処分は適法であつて原告の請求は理由がないから行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 合田得太郎 宮本勝美 篠清)

目録〈省略〉

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